新年、明けましておめでとうございます。この冬は各地で厳しい寒さと記録的な降雪が続いていますが、景気も一段の上昇が期待され、皆さま明るい気持ちで新しい年を迎えられたことと思います。新年が本当に良い年になりますよう、心からお祈りいたします。
さて、塩ビ樹脂を中心に昨年一年を振り返ってみますと、塩ビを取り巻く環境が大きく変化してきているように思われます。
環境安全問題については、ダイオキシン対策は更に進展して2004年のダイオキシン類総排出量は97年の20分の1以下にまで削減が進み、環境ホルモン問題も環境省のSPEED’98による調査研究では塩ビに使われる可塑剤についてリスクが懸念されるレベルのホルモン作用は見つからず、今後は新たにスタートしたExTEND2005に基づいて落ち着いた科学的議論が行われる状況になってきました。国際的にはバーゼル条約におけるプラスチック被覆廃電線について、電線そのものの問題と野焼き等の処理方法の問題が区別されて議論された結果、PCBや重金属などで汚染されたものは有害、汚染されていないものは無害と明確な取り扱いが決定されました。
こうした背景から、各種のマーク制度やグリーン調達などの基準における取り扱いでも、塩ビを差別的に扱ってきた基準等の見直しが進みました。
具体的には日本環境協会のエコマーク制度において商品類型No.118「プラスチック製品」で塩ビを対象に加える見直しが行われ昨年9月から新基準となりましたし、東京都のグリーン購入ガイドの基準においても2005年度版では、極力含まない物質の中から塩ビだけが外されました。
国の「グリーン庁舎計画指針」も「官庁施設の環境保全性に関する基準」へとライフサイクルを通じた客観的な評価基準への変更が行われ、塩ビを区別、排除する記述がなくなるなど、いずれも塩ビについての客観的な理解をもとに採られた見直し措置です。
また、主要なユーザー業界の企業の方々からも削減方針等を見直しのお話を聞く機会も増えており、ありがたいことだと感謝しております。
こうした動きを更に加速させるためにも、情報提供を充実させることが重要であると考え、各種のパンフレットやリーフレットの作成、配布を進めてきましたが、昨年度は塩ビに関する主要な事項についてのリーフレット、「環境最前線」、「塩ビ製品カタログ」などが完成しました。中でも「環境最前線」は、一般の方に向けた資料であるとともに、中学、高校の環境教育用副教材としても考えて作られたもので、全国17,000校の中高校の家庭科の先生方にお送りし、学習用のワークシートはご要望に合わせて合計9万部を配布し、環境教育に役立てていただきました。毎週木曜日発行のメールマガジンも5,000人近い皆さまに送付しております。
リサイクルの面では、新しい技術の確立や社会システムの構築に向けた努力が続いています。量的にも多い建設廃材のリサイクルでは月100トン規模と量的にも拡大した実証試験を、関東建築廃棄物協同組合、同和鉱業(株)と協力して進めていますし、JFE環境により実用化されている高炉原料化事業に加え、この春千葉の富津エコタウンで稼働予定のビニループ法によるマテリアル・リサイクル事業に対しても事前段階から積極的な協力を行っています。
今後の更なる需要増が期待される塩ビ樹脂サッシおよびサイディングについては、地球温暖化対策の面からも重要であるため、経済産業省や環境省のご支援による助成事業が継続され普及に弾みがつき、一昨年に続き昨年も小池環境大臣にもご参加いただいて「住まいと環境・エネルギーセミナー」を開催し、消費者の皆さんにも広く塩ビ樹脂サッシの良さを理解いただき、新築やリフォームへの採用を働き掛けたところです。
勿論、グリーン購入ネットワークのような社会的に尊重されている組織であっても、基準の見直しに当たって、未だに塩ビがダイオキシン発生の原因物質であるかのようなコメントを書いてパブリック・コメントを出しているところも残されていますので、まだまだ私たちも努力していく必要があります。
新しい年の進んでいくべき方向を考える参考に、今年もまた、私たちのルーツをちょっと見てみることにしましょう。
150年前の1856年(安政3年)は2年前に締結された日米和親条約をもとに、米国から駐日総領事としてハリスが下田に来航し、幕府と通商条約の交渉を始めた年です。海外に向けて大きく窓が開かれる新しい時代を予感してか、幕府は蕃書調所を設立し、各藩でも留学の機運が高まりました。萩の杉家で禁固中の吉田松陰は武教全書の講義を始め、これが松下村塾の起源となります。江戸では大雨洪水により前年にあった安政の大地震に倍する被害が出ました。お隣の中国ではアヘン密輸の捜査に端を発したアロー号事件が起こり、英国は広州に侵攻して第2次アヘン戦争となりました。化学の世界では、英国のパーキンが最初のアニリン染料の合成に成功しています。
100年前の1906年(明治39年)は、前年に日露戦争が終わり、1月早々に桂太郎内閣から西園寺公望内閣に交代。国内では鉄道国有法が成立公布され、地方的な鉄道を除き国有化が行われました。3月末の法律公布日時点での鉄道キロ数は7269km(うち官鉄2434km)でした。9月には東京市電の前身である東京鉄道も東京電気鉄道等3社の合併により設立され、東京と小笠原父島間の海底電線敷設により日米間の通信が開始されました。戦後の景気好況により鐘紡の株で巨万の富を得た鈴木久五郎が話題を呼び、「成金」の語が生まれたのもこの年です。野口遵が曾木電気(株)(のちの日本窒素肥料)を設立し、銑鉄消費量は24万トン、生産量はまだ14万トンでした。カイコの遺伝研究やウルシの構造分析研究など日本に根ざした科学研究も現れ、海外ではドイツのハーバーによる空中窒素の固定法が発明され、夏目漱石は「坊ちゃん」、「草枕」を発表しています。
50年前の1956年(昭和31年)は、経済白書(日本経済の成長と近代化)では技術革新による発展が強調され、「もはや戦後ではない」が流行。原子力の平和利用に向けた体制整備が進んだ年で、原子力3法が制定され、科学技術庁が作られ、原子燃料公社、日本原子力産業会議が設立されました。一方、米国は5月にビキニ環礁で最初の水爆投下実験を行い、10月にはハンガリー事件、スエズ戦争などが続くなど穏やかならぬ国際情勢が続き、東証ダウも急騰(11月514円10銭)。船舶建造量は175万トンで世界一になりました。アフリカではスーダン、モロッコ、チュニジアが独立。メルボルン・オリンピック(東京オリンピックの2回前)に日本は118人の選手団を送り、体操の小野喬らが4種目に優勝、マナスル初登頂もこの年でした。
これまでの歴史を見ると、鉄道やエネルギーなどの社会インフラの整備も50年、100年単位で進んできたことがわかります。現在に引き直してみますと、新しい社会インフラは何でしょうか。
昨年は耐震偽装問題が表面化し、改めて社会インフラとしての住宅に関心が寄せられています。今年は生活の基盤である住宅の質的充実に向けた住宅基本法の制定が予定されており、住宅については耐震性に加えて省エネ性、保健性に優れた性能が要求されるようになっており、この面では塩ビ樹脂製の建材がおおいに貢献できることでしょう。豊かで安全な生活を確保するため、日本国内だけでなく、アジア諸国とも連携を深めながら、皆さまとともに新しい年の活動を充実されてまいりたいと考えております。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。 |
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