NO.132
発行年月日:2007/06/14

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トピックス
◇塩ビ食品衛生協議会の創立40周年記念事業について
塩ビ食品衛生協議会(JHPA) 常務理事 石動正和

随想

古代ヤマトの遠景(17) —【天照大神の整理】—

信越化学工業(株) 木下清隆

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【NEW】PVC Newsが6/18に発行されます。

編集後記

トピックス
◇塩ビ食品衛生協議会の創立40周年記念事業について
塩ビ食品衛生協議会(JHPA) 常務理事 石動正和

40周年記念パーティー風景
Dr.Luigi Rossi講演会の様子
 当協議会は、1967年、塩ビ系食品用器具・容器包装材の製品衛生の向上を目的に設立されました。また1970年には、厚生省(当時)の指導のもと「塩化ビニル製食品容器包装に関するポジティブリスト」を制定しました。このリストは、安全衛生の観点から容器包装材の添加剤として使用が推奨される化学物質を示すものです。現在の第13版まで、最新情報に基づいた改訂が継続的に行われ、当該分野の製品衛生の向上に貢献しています。
 また協議会は、関連団体と連携し、塩ビモノマーや各種添加剤の安全性、ダイオキシン問題など、様々な問題について対応してきました。現在、塩ビ製品の安全性について理解が進み、問題が沈静化に向いつつあるのも、こうした努力の成果であると考えています。更に協議会は、この分野に係る内外の安全情報を包括的かつ継続的に収集してきました。これらは、通算247号となる技術参考資料にまとめられるとともに、月度のJHPA安全衛生情報を通じ、会員に幅広く提供されています。

 こうした中、本年6月5日、創立40周年を記念し、前欧州委員会保健消費者保護総局長Dr.Luigi Rossiを招聘して講演会を開催しました。氏は、欧州の当該分野に長く携わり、主要な指令と規則の策定の責任者として活躍されました。テーマは「PVC・可塑剤・キャップシーリング材に関するEU規制の概要」。講演は、この4月に発出された容器包装材のポジティブリストに係る欧州指令2007/19/ECを中心に、今回初めて登録されたフタレートやPVCキャップシーリング材の規制内容を紹介するものです。当日参加された80名近い方々は、いずれも熱心に耳を傾けメモを取っておられましたが、協議会にとって、このように欧州から講演者を招聘し、PVC製容器包装材の安全衛生をテーマに講演会を行うことは初めての試みであり、画期的なイベントであったと言えると思います。

 さて協議会は、本年11〜12月、東アジアの規制動向をテーマに、新たなシンポジウムを計画しています。東アジアの主要国は、欧州、米国と日本の管理方法を参考に、それぞれの国情に合わせた法整備の動きを示しています。協議会は、この2年の間、韓国や中国を訪問し、これらの国々に対し、日本の法と自主規格によるユニークな管理方法を紹介してきました。今回、これらの国々との協力関係を継続する視点から、シンポジウムを計画するものです。詳細につきましては、今後改めてご紹介しますので、ご期待下さい。(了)

随想
古代ヤマトの遠景(17) —【天照大神の整理】—
信越化学工業(株) 木下清隆

 前回までに天照大神に関する事項が、幾つか明らかとなってきたので、ここいらで少し頭の整理をすることにする。

(1) 崇神朝に皇祖神の天照大神を宮中から外に出したが、長い放浪の末、天照大神は伊勢神宮に鎮座した。
(2) ところが崇神天皇は記紀の中では初代の天皇とされる人物である。しかもこの天皇は、卑弥呼・台与(とよ)の後に倭王となった人物、即ち初代倭王をモデルとして記紀に登場した可能性のある天皇である。
祟神天皇陵
(3) そうであれば、この人物の出自は大和以外である可能性が出てくる。理由は、この人物を台与の後継王としたとき、台与との繋がりが全く無いからである。台与が何歳で亡くなったのかすらも分からない。このように記録が全く残されていないことから、台与は若くして死に、その後継王は諸国の王或いは首長の中から選ばれた、地方のリーダーである可能性が高いことになる。
(4) このように考えると、崇神天皇を初代倭王としたとき、この天皇の祖神となる神が大和で祭祀されていたこと自体が怪しくなってくる。一つの考え方として、自分の出身地で祭祀していた祖神を大和でも祭祀し始めたと考えることはできる。ところが、それまでして祀っている神を、理由らしい理由も無く外に放り出すなどは考えられないことになる。

(5) 二つ目の考え方として、前回挙げたように大和の守護神である三輪山の神を放り出したと考えることもできる。しかし、この場合は大和の地においてはよそ者に過ぎない初代倭王が、いきなりそのような無謀なことができるかという問題が出てくる。そしてこれは、普通には考えられないことと云える。
(6) 以上のような検討結果から、崇神天皇紀に書かれている、天照大神を宮中から外に出したという記述は、とても信用できるものではないことになる。従って、このような行為がなされたのは、更に後世のことと考えない限り話の辻褄は合わないことになる。ところが天照大神が天皇家にとって終始変わらない皇祖神だったとするなら、崇神紀に記されているような無謀なことをする天皇が存在したこと自体が問題となってくる。

(7) この問題に対する考え方には二つある。一つは、天皇家は万世一系ではなく、途中で王朝が変わったという考え方である。この「王朝交代説」は戦後間もなく「騎馬民族説」が唱えられてから一時期盛んになるが現在では下火になっている。この説の致命傷は、記紀にそのことが全く記載されていないことである。現在の天皇家が最後の王朝を開いたとするなら、自分達が征服した諸国との戦いの有様が克明に記録されているはずである。ところが、そのような記述が全く無いのである。中国の「史記」は当にそのような歴史書である。お隣朝鮮半島の正史「三国史記」にも、戦いに明け暮れる記述がこれでもかと続く。
(8) このような征服譚の記録がないことから、どうも天皇家は万世一系である可能性が高いと云えることになる。そうであれば、二つ目の考え方として天照大神は初めから皇祖神ではなかったと考えざるを得ないことになる。このことは先に天照大神は天武朝に誕生したことを紹介したが、この事と符合してくる。

(9) 要するに、崇神紀の記述は後世になって天皇家の祖神に昇格する神で、未だ天照大神とは称されていなかった神を、崇神以降の天皇の誰かが宮中から外に出したと解釈されることになる。しかもその天皇と祖神昇格前の神との間には、何か血縁的な薄さとでもいった何かがあったと想定せざるを得ないことになる。

 では、祖神昇格前の神とはどのような神なのか。また、新たな謎が生まれてきた。(続く)

前回の「古代ヤマトの遠景」は、下記からご覧頂けます。
☆古代ヤマトの遠景(16) ・