エリトリア旅行記(3)−人にやさしい− |
(社)日本化学工業協会 若林康夫
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エリトリアの首都アスマラは標高が高いことと湿度が低いこともあり、日中の気温は日のあたるところは30度を超えていますが日陰に入るととても涼しく感じます。
工業が発達していないため自動車の排気ガス以外ではあまり大気汚染の原因になるものも少なく 空気が澄んでいることもあり日差しというか、紫外線は非常に強力です。日本人と同様、瞳の色が黒く、明るさに強いといわれる黒人のエリトリアの人たちでもサングラスをかけている人が沢山います。
また、お年寄りの中には目を悪くする方も沢山います。衛生状態の悪い国に行くと、汚い手で目をこすったり、ゴミや埃、虫などが目に入ったりすることが多いために目を悪くする方たちが多いのですが、エリトリアではこれらの原因はあまり当てはまりません。眼科の医師に尋ねると、やはり紫外線による白内障にかかる人が非常に多いとのことです。
エリトリアには大学は国立大学が一つあるだけ。このため、国立大学卒業者は非常に高いステータスを与えられるのかと思いきや、意外と海外の大学を卒業している人も沢山います。30年続いた独立戦争中、身の危険を感じたり、国の将来に悲観をしたりと難民という形ばかりでなく、自主的に海外へ移住した人たちも沢山おり、その人たちや子供が海外での高等教育を受け、再び祖国エリトリアに戻って来ているのです。エリトリア国立銀行では、セキュリティや雑用係の人を除き、ほぼ全員が大卒だそうです。
街並や料理はイタリアの影響を強く受けていますが、教育面では英語教育に非常に熱心です。公用語は一番人口が多いTigrinya族の言葉ですが、その次には英語、それもアメリカ英語が使われています。一般の人もお年寄りを含め、ほとんどの人に英語が通じます。また、様々な表示や広告などもTiginya語と英語の両方で書かれているので助かります。
小学校は教室不足もあり午前組と午後組の2部制。授業時間は、午前組が午前7時〜正午までで、午後組が午後2時〜午後7時まで。低学年では親の送り迎えが義務付けられているので午前組の登校と午後組の帰宅の子供の世話はお父さんの役目となっている家庭が多いようで、その時間になると子供たちがお父さんに手をひかれて歩いている姿が沢山見られます。
エリトリア国内にもインターナショナルスクールがいくつかあり、それなりに裕福な家の子供はそのような学校に通うようですが、仕事などに成功し、比較的裕福な家庭の子供は高校あたりからアメリカなどに留学することも多いそうです。
医療体制は国立病院など公営の病院の医療費は原則として無料。診察は、急患を除き、最初に普段からお付き合いのある家庭医に診てもらい、必要に応じ専門医や専門病院の紹介を受けるアメリカ方式。専門病院もかなり細分化されており、手術だけを行う国立手術病院まであります。医療水準は国立エリトリア大学医学部を卒業した医師と海外の大学を卒業したり、留学をした医師とを比べるとまだ差があるといわれていますが、実際のところはよく分りません。
エリトリアに来て気が付いたのは救急車がほとんど走っていない、ということ。車の交通量も少ないこともあり交通事故も少ないのでしょう。最初は救急車そのものの数が不足しているのかと思いましたが、どうもそうではないようです。救急車はそれなりにあります。
前々回、エリトリアの人の平均寿命は、男性51歳、女性55歳とお伝えしました。日本人と比べるとずいぶん短く、日本の60歳定年制を導入したら、死ぬまで働けとなってしまいます。そう、エリトリアの人は生きている間は比較的健康で病気にかかる罹患率が世界でも非常に低い、健康的な国民なのです。世界でもトップクラスの長寿国、日本の介護や入退院を繰り返しながら生きているのに比べ、エリトリアの人は「太く・短く・健康に」生きているのです。
健康の秘訣は生活の速度にも関係しているかもしれません。エリトリアの人はとってもノンビリ。歩く速度は東京の人の3〜4割は遅いのではないでしょうか。暑いことと標高が高く、空気が薄いことも関係しているのかもしれませんがノンビリ。役所や銀行に行っても、さぼって仕事をしていないというわけではなく、マイペースというか、国全体のスピードが遅いのです。日本人から見るとなにをモタモタしているんだろうと感じることもあります。
もちろん車の速度もノンビリ。速度違反などあろうわけもなく、白バイも日本では暴走車を追いかけるため750ccの大型バイクですが、エリトリアではホンダの250cc。ミニチュアみたいなかわいい白バイがトコトコと走っています。
街中では白バイを除き、警察官の姿もほとんど見かけません。もともと犯罪発生率が少ないことや、地域の人たちの関係がしっかりしているためほとんどのトラブルは地域で解決ができることも警察官をあまり必要としない理由とされています。
また、通常、警察官はピストルなど銃器を所持していません。これも、安全の証なのかもしれません。ただ、エリトリアの人によると、制服を着ていない、かといって私服の刑事でもない、“秘密警察”の人が結構いるという噂です。
エリトリアでは国で定めた定年年齢はないとのことですが、男性のほとんどが45歳〜50歳でリタイアするそうです。
エリトリアの人は強い紫外線の影響もあるのかもしれませんが、ある年齢になると見かけが急速に老けこみます。顔中シワだらけで、「この人は70歳以上。エリトリアにしては長生きだよな」と思って話していた人が、実は自分より若い人だったりします。
街では独立戦争の戦闘で手や足に障害が残ったり、失ったりした、所謂、傷痍軍人の姿も多く見かけます。これらの人たちには恩給が支給されますが、その金額は月額500Nakfa。ドルに換算すると30ドル程度です。いま泊っているホテルのレセプションの人の月収が40ドル程度ですから贅沢はできませんが悪くない金額です。
このような傷痍軍人やお年寄りには助け合いの精神が行き渡っています。車いすを利用している人を見かけると、必ず歩いている人がどこに行きたいのかを尋ね、自分が行く方向と同じであれば老若男女を問わず押して行きます。もし、自分の行く方向とは違っている場合は、周りを歩いている人に「この人は○○に行きたいと言っている。誰かそちらの方に行く人はいないのか?」と大きな声で尋ねます。
車いすを利用している人や、目が見えない人は、このような人々のネットワークで、無理をすることなく目的地に着くことができます。(続く)
前回のエリトリア旅行記(2・後編)−行方不明− は、下記からご覧頂けます。
http://www.vec.gr.jp/mag/156/index.html#zuisou
エリトリア旅行記のバックナンバーは、下記からご覧頂けます。
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