「イイノホール」の思い出と『芝浜』
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信越化学工業(株) 木下清隆
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飯野ビル
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本年の年初め、NHKの「日本の話芸」で柳家小三治の『初天神』が放映された。枕の初めの方で、小三治が「このイイノホールも閉鎖されることになり、これが最後の高座となります」といったことを喋っているのを聞き、初めてイイノホールがその長い歴史を閉じることを知った。昨年の10月末で閉鎖された由である。
私は小三治が好きである。いつ頃からと云われると答えに窮するが、小三治を襲名した頃からのようであり、数十年にはなる。小三治の芸は、亡くなった若手のホープ、古今亭志ん朝のような正統派の名人芸ではない。さりとて春風亭小朝ほど器用な芸でもない。曰く謂い難いが、要するに味があるのである。『初天神』は天神様に親子で初詣に行く話しであるが、屋台の立ち並ぶ参道で、やたら物を買ってくれとせがむ息子と、これに手を焼く親父の情景が眼前に生き生きと描き出される。このような臨場感溢れる話芸が小三治の魅力である。最後は息子に凧を買ってやるが、親父の方が凧揚げに夢中になり、息子の「こんな親を連れて来るんじゃなかった」がオチである。
イイノホールへは二度ほど足を運んだ記憶がある。一度は「マリンバ演奏会」だったように記憶している。1970年代当時、マリンバ界のホープは「安倍圭子」だった。私が彼女の存在を知ったのはその後であるが、彼女の演奏はとにかく歯切れがよく、どのような難曲でもいとも簡単に弾きこなす技量の持ち主であった。そんなわけで、わざわざ彼女のCDまで買ってきて聞き惚れていた。その彼女の演奏会だというのでイイノホールまで出かけて行ったが、演奏会の記憶は残念ながらあまり残っていない。
二度目は円楽の『芝浜』を聞きに行った。飯野ビルで会議があり、帰りに『芝浜』の案内に気付き、硬質塩化ビニール板協会の足立専務理事(当時)とホールへ足を運んだ。『芝浜』は落語の人情噺としては最高傑作といえるもので、演じるのも難しい。かつて、小三治の『芝浜』のテープを買い込み何度も聞いたが、その話のあらすじはこうである。
芝増上寺の辺りに魚勝と呼ばれる腕のいい魚屋がいた。馴染みの客も多く大変評判であったが、ふとした切っ掛けで酒をたしなむようになると、すっかりのめりこんでしまう。挙句に河岸へも行かなくなり、客からも見放されて貧乏のどん底に落ちる。ある年の暮れ、これじゃ年も越せないと上さんに泣きつかれ、早朝、渋々芝の河岸に出かける。早く着きすぎたので浜辺でタバコをふかしていると、そこで皮の財布を拾う。飛んで家に帰り、中を確かめると二分金が五十二両も入っていた。近所の衆を集めてドンちゃん騒ぎの酒宴を開き、そのまま寝入ってしまう魚勝。夜中に目覚めた勝に上さんは尋ねる。「お前さん、今日は目出てえから飲んでくれ、飲んでくれと近所の衆に勧めてたけど、何か目出度いことでもあるのかい」「例の芝浜の一件よ」「芝浜のことなんか知らないよ」「何を言ってやがる、お前と一緒に数えたじゃねえか」「わたしゃ知らないよ、お前さん、夢でも見たんじゃないのかい」。押し問答を続けているうちに勝はだんだん夢だと信じ込むようになる。
それからというもの、勝はぷっつり酒を断ち、懸命に仕事に打ち込むようになる。裏長屋から表通りへ引越し、店まで構えるようになる。三年目の大晦日。「お前さんに見てもらいたいものがあるんだよ」といって上さんは、竹筒の中に入っていた二分金をばらばらと畳の上に撒く。「これはお前さんが芝の浜で拾ってきたお金だよ」「あれは夢だったじゃねえか」「あんとき、お前さんはこれからは毎日酒を飲んで暮らすと云っただろう。わたしゃ、お前さんは本当にダメになると思ったんだよ。それで、お前さんが寝入った隙に大家さんに相談に行ったところ、そんな大金をねこばばしたら島送りになると云われ、びっくりして大家さんからお上へ届け出てもらったんだよ。それで、お前さんには夢にしてもらったんだよ。暫くして、落とし主が現れなかったということで、お上から下げ渡されたのがこのお金なんだよ。長い間お前さんを騙してしまい、・・・許しとくれ」と泣き伏す。「許すもゆるさねえも、ねえじゃねえか。こうして立派な店を持てるようになったのも、おめえのお陰じゃねえか」。こうして一件落着すると、上さんの勧めで、勝は久しぶりに酒を飲もうとする。「いい香りだ。・・・・・・やっぱりよしとこう」「どうしたんだい」「また、夢になるといけねえ」。
あらすじが長くなってしまったが、この噺を念入りに演じると一時間近くかかる。円楽の『芝浜』と小三治のとでは、細部で異なり場の雰囲気も随分と違っていたが、貧乏時代の勝夫婦を円楽が丁寧に描いていたところが、特に印象深かった。
毎年大晦日になると、近所の店から掛取りが入れ替わり立ち代りやってくる。銭がないので断り役は専ら上さんである。最後の米屋が帰りほっとして押入れから出てくる勝、そこへ忘れ物を取りに米屋が戻った。隠れる間もない勝に、上さんは唐草模様の大きな風呂敷をとっさに掛けた。米屋は「お上さん、今日は寒いんでふるしきが震えてますよ」と、粋な言葉を掛けながら出て行った。この情景を円楽が実に丁寧に演じていた。
この『芝浜』は明治時代の三遊亭円朝の作とされており、多くの噺家が取り組んでいるが、戦後では三代目三木助の十八番だったらしい。1954年に三木助はこの『芝浜』で芸術祭奨励賞を受賞している。現代では七代目立川談志の十八番と云う事になっているが、かつて、彼の『芝浜』を聞いたことがある。上さんの雰囲気が正に魚勝の女房そのもので、言葉の一言一言がその人間性をものの見事に表現していた。談志を見直した、がそのときの感想である。(了)
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