NO.136
発行年月日:2007/07/12

今週のメニュー

トピックス
◇“塩ビ被覆電線”東京都でも公共工事向けに復活の動き

随想

死んで花実を咲かせましょう。

原田 浩(H2)

お知らせ
【NEW】NEDOの補助金事業の二次公募が開始されました。
【NEW】オルガテクノ2007 出展案内

編集後記

トピックス
◇“塩ビ被覆電線”東京都でも公共工事向けに復活の動き

 塩ビに対する再評価が進む中、東京都が「平成19年度環境物品等の調達方針(公共工事)」で「塩ビ電線・ケーブルの取り扱い変更(EM電線・ケーブルの優遇廃止)」を公表しました。“EM電線、EMケーブル(塩素や臭素といったハロゲン物質や重金属を含まない耐燃性ポリエチレンを使用した電線・ケーブル)”のみを特別品目として基準化していた従来の調達方針を見直し、塩ビ被覆電線を対象に“非鉛電線、非鉛ケーブル”を新たに特別品目として追加しました。これにより、鉛を含む安定剤などを使用していない“塩ビ電線、塩ビケーブル”の公共工事での使用が認められることになりました。

 これは、昨年来、東京都に対し「塩ビ電線」を「EM電線」と同等に扱うよう継続的に働きかけてきたことに対し、塩ビの優れた点をご理解いただいた結果と考えております。昨年、当メールマガジンNo.100のトピックスで「塩ビ被覆電線を官庁向けとして復活の方向へ〜国土交通省、建築設備設計基準を改定」をお伝えしましたが、本件はこれに次ぐ大きな動きです。ダイオキシン特別措置法のもとに焼却設備や焼却条件が管理されるようになり、結果として「ダイオキシン問題は焼却物ではなく焼却条件の問題である」ことが立証されました。昨年、国土交通省は、この事実を受けて、かつてダイオキシン対策として登場した「EM電線 ・ケーブルを原則使用するとした基準」の見直しを行いました。今後、EM電線の使用を基準化している他の自治体に対しても、同様の改訂をしていただけるように働きかけて行く予定です。

 ところで、塩化ビニル樹脂(PVC)の歴史を紐解きますと、PVCがはじめて産業資材として使用され、工業化の基礎が固まったのは、第一次世界大戦下のドイツ、軍需用の“電線被覆材”であったと言われております。続いてPVCが、本格的に生産されるようになったのは、1930年代の米国とドイツにおいてでありますが、特に、米国では1941年第二次世界大戦が始まると、戦略物資として“電線被覆材”用にPVCの大量生産が計画され、Goodrich社やMonsanto社が本格プラントを建設して生産を開始いたしました。1943年には米国やドイツ(IG社)でともに約4万トン/年もの生産が行われております。

 いずれにしましても、PVCは、近代史において極めて重要な産業資材である“電線被覆材”として登場したのであります。これは、とりもなおさずPVCが絶縁材料として優れているばかりでなく、難燃性、耐久性といった被覆材料としての安全性能が優れていることが評価されたもので、その信頼性は現在でも全く変わっておりません。特に、塩ビ電線は、電力用高圧電線のシース(被覆)や中低圧電線(屋内配線等)の絶縁層やシース、そして自動車用電線(ワイヤーハーネス)や電気電子製品の電源コード等に幅広く使用され、我々の日常生活や産業を基盤から支えると同時に、その“安全と安心”に大きな役割を果たしております。

 また、塩ビ電線は、長期間使用された後のリサイクルの場面においてもその特徴を発揮します。塩ビ電線は、長い歴史の中で、特に電力等のインフラ系から排出される使用済み電線を中心に、銅線を回収した際に発生する被覆材を再生利用して参りました。PVCは、リサイクルがし易い樹脂で、特に軟質塩ビである電線被覆材は、再び電線用の被覆材として再利用されるほか、ビニル床材を始めとする他の用途にも利用されて参りました。世界的に銅資源の枯渇が危惧される中、今後は、自動車、家電等の市場品系から排出される使用済み電線の国内循環を如何に進めるかが喫緊の課題となっております。この課題を解決するためには、リサイクルし易いPVCがまさに最適な材料であるといえるでしょう。また、そのライフサイクルを通じて循環型社会に貢献する“塩ビ電線”こそが、真に“エコ”の名にふさわしい電線と言えるのではないでしょうか。(了)

メールマガジンNo.100
トピックス:塩ビ被覆電線を官庁向けとして復活の方向へ
      〜国土交通省、建築設備設計基準を改定」は、
      こちらからご覧頂けます。
http://www.vec.gr.jp/mag/100/index.html#topics

随想
死んで花実を咲かせましょう。
原田 浩(H2)

 「死んで花実が咲くならば、寺や墓場は花だらけ」・・・というのは、世をはかなんで自殺したいと訴える人に向かって説教する言葉です。自ら命を絶っても何も良いことなんかない、辛い人生かもしれないが、その辛さに向かって努力してこそ浮かばれる日もあるというものだ