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斉明天皇によって出雲の熊野大社が再建されていることから、この時代天皇家は出雲の神を祖神としていたと考えられる。その後、同じく出雲の神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)も天皇家の祖神若しくは守護神として祭祀されている。 |
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三世紀後葉に誕生したと考えられる崇神天皇は、台与の後に王位に就いた初代倭王の可能性が高いが、この崇神朝に起きたとされる天照大神の伊勢遷座は、如何なる神を遷座させたのかが不明なことから、この事件は後世になって起きたと考えられる。 |
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天照大神の伊勢遷座が行われたのは五世紀後葉の雄略朝と考えられるが、天照大神の誕生はずっと後世の七世紀の天武朝と考えられることから、雄略天皇が遷したのは後世、天照大神と称せられるようになる神であったことになる。 |
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その神の引き取りを承諾した伊勢氏も、最終的に受け入れて祭祀した度会氏も共にその祖は出雲である。従って、遷座してきた神も出雲の神である可能性が高い。 |
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初代倭王の死から雄略朝まで約150年あり、雄略天皇時代の朝廷で祭祀されていたのは初代倭王の御霊であったと考えることができる。従って、この時代朝廷から伊勢へ遷されたのは初代倭王の御霊であったといえる。このことはこれ以降、伊勢神宮の祭神はずっと初代倭王だったことになる。要するに初代天皇である。 |
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このような推論から初代倭王の出自は出雲であると想定できることになる。おそらく出雲の王だったと考えられる。このような仮説が成り立つなら、なぜ斉明朝時代に出雲の神を祖神としていたかの説明がつくことになる。 |
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更に、出雲国造神賀詞の中で語られている出雲の神々が、時の天皇家をお守りしますと誓っていることの意味も明確となってくる。 |
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天照大神は、伊勢神宮に祭られている神に天武天皇が新たな神名を与えて誕生したと考えられるが、そうであれば天照大神は初代倭王の御霊のことになり、従って天皇家の祖神とされるのは当然のこととなる。 |