NO.086
発行年月日:2006/07/06

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トピックス
◇塩ビ管・継手はリサイクルの優等生
平成17年度のマテリアルリサイクル率、60%をクリア

随想 
古代ヤマトの遠景(9)

信越化学工業(株) 木下清隆

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PVC Newsが6/19に発行されました。

編集後記

トピックス
◇塩ビ管・継手はリサイクルの優等生

平成17年度のマテリアルリサイクル率、60%をクリア


 現在、塩ビの国内需要量は年間約140万トンですが、その中で一番大きな用途はといえば、なんといっても塩ビ管。強度があり、加工性、施工性に優れ、腐食もせず衛生的な上に50年以上の耐久性を持つということで、排水管や通気管、上下水道管などに使用され、年間約50万トンの塩ビ樹脂が使われています。敷地内の埋設配管の90%以上、下水道管では80%以上が塩ビ管なのです。

 この塩ビ管、長寿命なのですが、それでも使用済みとなる日が来ます。また、建物などのリフォーム時、解体時には廃棄物として出てきます。
 この廃棄物をさてどうするか? 往時ならばともかく、資源循環型社会を目指す現在の我が国では、とてもすんなり廃棄処分する訳にはいきません。
 じゃあ、どうする? 当然のこととして、リサイクルです。

中間受入場作業風景
三層管製造
塩ビ管・継手リサイクル量・率の推移
 塩ビ管・継手のリサイクルについては、昭和40年代から各地の塩ビ管再生業者によってリサイクルが行われていましたが、平成10年度から、「塩化ビニル管・継手協会(略称JPPFA)」の主導により、全国規模で組織的なリサイクル活動が始まりました。JPPFAは、塩ビ管や塩ビ継手などのメーカー13社を会員とする業界団体です。

 このリサイクルシステムは当初、既存の塩ビ管再生業者のリサイクルを業界が協力・支援する形で始められましたが、その後全国各地での受け入れ拠点の設置、使用済み品の有価購入制の導入、再生品の全国販売の推進など、JPPFAが主導し、塩ビ管メーカーやVECなど関係者の強力な支援によるリサイクル一貫システムが出来上がりました。
 さらに3年程前からは、産業廃棄物中の廃塩ビ管を産廃処理として受け入れてリサイクルするシステムも追加し、リサイクルの範囲を広げました。また昨年には、新潟中越地震被災復旧工事に伴う廃塩ビ管のリサイクルを進めるなど、社会貢献活動も積極的に行いました。

 現在このリサイクルシステムは、JPPFA加盟13社を中心に、リサイクル協力会社19社、中間受入場33ヶ所、契約中間処理会社11社を擁する大きなシステムにまで成長しています。
 そしてその結果、平成10年頃までは30%台で止まっていた塩ビ管のリサイクル率は、JPPFAが本格活動を始めた平成11年度には40%を超え、平成15年度には50%に達し、昨年度平成17年度では60%を超えるに至ったのです。

 JPPFAではしかし、この結果に満足せず、更なるリサイクル活動の充実とリサイクル率の向上を目指しています。いままで主体であった、塩ビ管から塩ビ管へのリサイクルに加え、JFE環境(株)が進めている高炉原料化への適用を積極化したり、(株)神戸製鋼などが取り組んでいる、廃塩ビを溶剤に溶解して他素材と分離しマテリアルリサイクルする、いわゆるビニループ方式との連携を強化したりすることも考えているとのことです。
 そして、今後の目標として、平成22年までにフィードストックも含めたトータルリサイクル率70%を実現することとし、経済産業省の産業構造審議会に申請するリサイクルガイドラインの内容を前向きに見直しました。

 丈夫で長持ちの塩ビ管は建設材の優等生であると同時に、リサイクルの面でも優等生、なのです。これからも、どうぞ、ごひいきに。

塩化ビニル管・継手協会のホームページはこちらからご覧頂けます。
http://www.ppfa.gr.jp/

随想

古代ヤマトの遠景(9)

信越化学工業(株) 木下清隆


【記紀の世界】
 前回、卑弥呼・壱与の後継倭王は第十代の崇神天皇の可能性があることを述べた。この天皇について記紀に記載されていることを、そのまま信じることが出来るのか、という問題が出てくるが、これは殆ど信用できない。それは、8世記になって最終的な古事記・日本書紀の内容が確定された時に記紀が描きだした世界は、蘇我氏が改ざんした内容を更に潤色した世界であり、当時の権力者にとって望ましいものに変貌されてしまっているからである。
 このように、記紀が描き出した古代倭国の世界は、現実の世界とは大きく異なった世界だったといえるが、どのように異なっているのかを知るために、これから数回にわたって記紀の世界に踏み入ることにする。

【神代の時代】
 先ず神代の時代であるが、古事記と日本書紀とでは神代時代の内容は細部においてかなり異なっている。しかし、大筋でみると殆ど同じといえる。
 先ずイザナギ・イザナミの2神による国生み・神生みが続き、最終的に天照大神と素盞鳴尊が誕生する。この2神は姉弟神であるが、姉は高天原を治め、弟は海を治めよと申し渡される。ところが素盞鳴尊は泣いてばかりで、被害が青山を枯らすほどになったので、根の国へ追放される。しかし、素盞鳴尊はその前に高天原にいる姉に会いたいと云いだし天照大神に会いに行く。天照大神は驚き、素盞鳴尊が高天原を奪いに来たと疑い、武装して待つ。素盞鳴尊は自分にはやましい心はないと誓約する。その証として、2神は相手の武器・装身具からそれぞれ子供を吹き出し、結局8人の子を得る。このうちの1人から生まれた子が、後に天孫として天降りすることになる。

耳成山
 その後、高天原に居座った素盞鳴尊はいたずらの限りを尽くし、その度が過ぎたことから、天照大神は天の岩屋戸に隠れてしまう。高天原の神々はあの手この手の方策を講じ、最後は奇策でやっと天の岩屋戸から天照大神を出すことに成功する。このような事件が起きたのは素盞鳴尊のせいだとして、神々は素盞鳴尊を捕らえ、高天原から追放してしまう。
 その後、素盞鳴尊が天上から降り立ったのが出雲で、ここで有名な八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の話が出てくる。ここで助けたのが櫛稲田姫である。
 更に話は一変し、天孫降臨物語に移る。天孫を下界に天降りさせるために、出雲に使者を何度も出して国譲り強要し、遂に大己貴命(オオナムチノミコト)はこれを承諾する(古事記では大国主命となっている)。ここで葦原中国(アシハラナカツクニ)は平定されたとして、天孫ニニギノミコトが日向の高千穂峰に天降りする。このニニギノミコトの三世の孫が神武天皇である。

 この神武天皇が誕生するまでの舞台装置は大掛かりで手の込んだものとなっている。何故このような神代物語を創作したのか、との根本的な疑問が湧くが、ここではこれ以上立ち入らないことにする。ただ、この神代物語の中で疑問となるものは幾つかあり、それらについて次回以降に取り上げることにする。(続く)

前回の「古代ヤマトの遠景」は、下記からご覧頂けます。
☆    古代ヤマトの遠景(8) ・