大気汚染物質には色々な物質がありますが、これまで有害大気汚染物質としてリストアップされているもののうち、優先取り組み物質として22物質が位置付けられています。これらの物質は何らかの健康障害をすぐに起こすような大気中の濃度にはなっていないものの、長期間暴露することにより健康への影響のおそれが考えられることから、これまでは事業者が排出を自主的に削減する形で対応が取られてきました。1997年以来3年ずつ2回にわたって自主削減が計画的に進められ、既に平均で75%の削減が達成されています。
またこれらの物質のうち影響が大きいと考えられるベンゼン等の物質には環境基準が設けられていますが、それ以外の物質についても国や自治体による大気環境モニタリングが行われており、3年前に環境省は4物質に関し疫学データ等に基づいて、大気環境モニタリングの指標として環境指針値なるものを設定しました。環境基準値自体が大気中の濃度を常時この値以下にしなければならないというものではありませんが、環境指針値は環境基準を設定するほど科学的なデータの信頼性が高くない物質について、大気汚染防止法に基づかないにもかかわらず中央環境審議会の審議を経て設定されるというものです。
環境省は今年5月30日、新たにアセトアルデヒド、クロロホルム、1,2−ジクロロエタン、1,3−ブタジエンの4物質について環境指針値を設定する方向で、中央環境審議会に設けられた専門委員会を開催し、その審議結果に基づいてパブリック・コメント(6月12日〜7月11日)の募集を行いました。しかし、今回の環境指針値設定にはいくつかの問題があると思いますので、この点を以下に述べてみたいと思います。(それにしても5月30日の会議の議事録をパブリック・コメント最終日になって初めてホームページに掲載するとは、意図的とは思いたくありませんが、どういうことでしょう?)
環境指針値は法律による義務づけではありませんが、中央環境審議会という公的な機関により審議決定され、モニタリングを実施する都道府県等では測定値を評価する指標とするわけで、決して軽いものではありません。当然のことながら、その科学的な根拠、審議の過程、決定内容等は基本的には全て公表されるべきものです。その上でパブリック・コメントにより、より広い範囲から意見を求め、審議会での審議にこれらの意見を反映して最終的な決定が行われるべきであります。
しかし、今回の審議の過程を見ますと、審議会のもとに設けられた専門委員会に先立ってワーキング・グループによる検討作業が行われたとされていますが、検討の過程でどのような議論や判断が行われて今回の指針値案がまとめられたのかが、議事録も資料も全く公開されていないため判りません。
また、今回対象となった4物質の中で、私ども塩ビ業界とも関係の深い1,2−ジクロロエタン(EDC)については疫学データがないため、動物実験データだけから吸入による発ガン性を認定し、リスク評価を行っていますが、この動物実験データの基になる研究は中央労働災害防止協会日本バイオアッセイ研究センターにより行われており、その研究結果は報告書として公表されていません。また、フルレポートとしても学会発表されていません。公的な性格をもつ環境指針値を決定するわけですから、当然のことながらその根拠となる科学的データは公表され、広く専門家の目による評価(ピア・レビュー)を経て初めて信頼性や正確さが評価されるものですが、今回のデータは公表されていないため、外部の人には内容を見ることができませんし、その結果として、吸入による発ガン性を証明した唯一のデータであるにもかかわらず、海外の同種のリスク評価でも引用されていません。
これらの基本的な問題点に加えて、疫学データではなく、動物実験データに基づいて動物への影響に不確実性の係数を掛けて人への影響に換算するため、結果としては人についての発ガン性が明らかになっている物質より、疫学データがなく、発ガン性は弱いと考えられるEDCの方が、より厳しい値になるという矛盾が発生します。その意味で科学的データに基づいてリスク評価をした数値をどのように扱うかは、行政的な判断が加わります。
7月11日になって公開された議事録から、5月30日に開催された専門委員会の審議の様子を読んでみると、専門委員会の委員の間ですら、環境基準値にするか、環境指針値にするか、それとも指針値にする以前の段階であるかについて統一的な理解ができていないことが明らかです。もともと3段階に分ける判断基準が抽象的な言葉で書かれているだけで、明確な線引きがなされていないため、このような共通理解の欠如となって現れています。事務局の説明も、環境指針値を決めるということで始めた作業なので環境指針値とすると説明するばかりで、選択したデータに基づいて導いた有害性の評価値がなぜ環境指針値にするのが相応しく、それ以上でも以下でもないのかということについての議論も判断も行われていません。
また、これらの他に、動物実験データの解釈についても、ラットを使った実験データをどのように扱ってユニットリスクを算定するかなどの疑問点があります。しかし、それ以前のところで、今回の環境指針値案の審議については以上のような問題点を多々含んでいるため、根拠データの公表、審議過程の公表を一つ一つ改めて行った上で、再審議を行うべきであり、このまま進めることは、将来に悪い前例を残すだけだと考え、パブリック・コメントに意見を提出いたしました。
私たちの生活環境の安全性をより高めていくには、しっかりした科学的根拠に基づくリスク評価を丁寧に行い、その不確実性の程度を明示しながら周知を集めて議論を進めていくべきです。多少時間が掛かってもそれ以外に道はありません。信頼される環境行政のあり方を実現して欲しいと切に希望いたします。
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