NO.172
発行年月日:2008/04/10

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トピックス
◇省エネな塩ビ屋根材の需要、2007年米国で伸びる

随想

古代ヤマトの遠景(24)−【初代倭王の出自】−

信越化学工業(株) 木下清隆


編集後記

トピックス
◇省エネな塩ビ屋根材の需要、2007年米国で伸びる

 米国のサブプライムローン問題が背景となって、日本の自動車や電子・電気などの大企業・製造業の設備投資意欲の後退が鮮明になったと4月1日発表の日銀短観では述べられているところですが、米国では、個人用住宅の着工件数の落ち込み具合が相当厳しいことが報道されています。塩ビの需要は建設分野が多いことから、この状況は塩ビ業界にとって大きな関心事であります。

 そんな状況の中、明るいニュースが米国の塩ビ工業協会(the Vinyl Institute)から飛び込んできました。米国の非住宅用途の建築市場は2007年に推定15%の成長を遂げたというのです。Chemical Fabrics and Film Associationの塩ビ屋根材部会によると、2007年は、非住宅用途の建築市場の堅調さとサステイナブル・ビルディングが重視されつつある風潮に後押しされ、塩ビ屋根材にとって好調な一年であったとのことです。

 1960年代ドイツやスイスで開発された塩ビ屋根膜材は、補強材としてガラス繊維やポリエステル繊維が使われますが、耐久性や耐候性、防火性更には、施工時の熱溶着性などに優れるという特徴を有しています。1970年代にアメリカに渡った塩ビ屋根膜材は、北米を中心に広く普及し、1985年、ASTM(American Society for Testing and Materials)規格D4434を満たした最初の一回張り(single ply)屋根膜材であるという歴史も持っています。

 塩ビ屋根膜材はいろいろな顔料を加えることによって様々な色のものを作ることができますが、最近の省エネ、温室効果ガス抑制といった環境重視の風潮によって、白い一回張り塩ビ屋根膜材が注目を集めています。おそらく酸化チタン層などを張り合わせた塩ビ屋根膜材の例でしょうが、最大で太陽エネルギーの86%を反射することから、ビルの電気消費を抑制し、都市のヒートアイランド現象の抑止にも役立っているとのことです。このような酸化チタン膜材料は、最近、日本でも注目されているようです。
http://www.vinylroofs.org/cool.html

 また、太陽電池を塩ビ屋根膜材にラミネートしたソーラー発電機も開発されており、太陽光による発電と同時に、必要としない熱気を建物の外へ反射する環境にやさしい屋根材もあります。カリフォルニア、ニュージャージー、コネチカット、マサチューセッツおよびフロリダの各州では、太陽光発電を奨励しており補助金が出るとのことですから、まさに一石三鳥(?)というところでしょうか。

 更に、塩ビ膜材は石やコンクリートなどいろいろな材料との密着性がよいことから、見えないところで別な用途でも役立っています。東京都では、一定以上の敷地を持つ新築 ・増築の建物には屋上緑化などのヒートアイランド抑止対策が義務付けられていますが、この屋上緑化を塩ビ防水シートが支えています。緑化した屋根は土で雨水をスポンジのように保持し、しみ込んだ水は自然な速度で気化し、雨水用の排水溝への水の流入を減らします。雨水をうまく利用し、建物の温度上昇を抑えてヒートアイランド抑止に役立っているわけです。もちろん、土の下にしかれた塩ビ防水シートは、密封性に優れ建物内への雨漏りを防いでいます。(了)

ニュースの原文は以下のページからご覧いただけます。
vinyl news service

随想
古代ヤマトの遠景(24)−【初代倭王の出自】−
信越化学工業(株) 木下清隆

 これまでに初代倭王と天照大神について、かなり詳細な検討を進めてきたがその検討結果と、その結果から導かれることをまとめると次のようになろう。

(1) 斉明天皇によって出雲の熊野大社が再建されていることから、この時代天皇家は出雲の神を祖神としていたと考えられる。その後、同じく出雲の神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)も天皇家の祖神若しくは守護神として祭祀されている。
(2) 三世紀後葉に誕生したと考えられる崇神天皇は、台与の後に王位に就いた初代倭王の可能性が高いが、この崇神朝に起きたとされる天照大神の伊勢遷座は、如何なる神を遷座させたのかが不明なことから、この事件は後世になって起きたと考えられる。
(3) 天照大神の伊勢遷座が行われたのは五世紀後葉の雄略朝と考えられるが、天照大神の誕生はずっと後世の七世紀の天武朝と考えられることから、雄略天皇が遷したのは後世、天照大神と称せられるようになる神であったことになる。
(4) その神の引き取りを承諾した伊勢氏も、最終的に受け入れて祭祀した度会氏も共にその祖は出雲である。従って、遷座してきた神も出雲の神である可能性が高い。
(5) 初代倭王の死から雄略朝まで約150年あり、雄略天皇時代の朝廷で祭祀されていたのは初代倭王の御霊であったと考えることができる。従って、この時代朝廷から伊勢へ遷されたのは初代倭王の御霊であったといえる。このことはこれ以降、伊勢神宮の祭神はずっと初代倭王だったことになる。要するに初代天皇である。
(6) このような推論から初代倭王の出自は出雲であると想定できることになる。おそらく出雲の王だったと考えられる。このような仮説が成り立つなら、なぜ斉明朝時代に出雲の神を祖神としていたかの説明がつくことになる。
(7) 更に、出雲国造神賀詞の中で語られている出雲の神々が、時の天皇家をお守りしますと誓っていることの意味も明確となってくる。
(8) 天照大神は、伊勢神宮に祭られている神に天武天皇が新たな神名を与えて誕生したと考えられるが、そうであれば天照大神は初代倭王の御霊のことになり、従って天皇家の祖神とされるのは当然のこととなる。

出雲大社
 このような推論から、次のようなストーリーを考えることができる。
かつて出雲の王であった人物が、卑弥呼・台与と続いた女王の後に倭国王として推戴されヤマトに迎えられた。この王の時代から倭国統一の時代が始まることから、初代倭王と名付けられるが、その死後、御霊はしばらく宮中で祭祀されていた。ところが雄略朝になってその御霊は伊勢へ遷され、天武天皇によって天照大神と名付けられた。天武朝の天照大神は男神であるが、持統天皇によって女神に変えられた。  −

 このようなストーリーはこれまでの古代学に全く無いものであるが、もし、ある程度史実を反映しているとすれば、改めて次のような問題点がでてくる。

(1) なぜ出雲王が倭国王に推戴されたのか。当時、出雲はそれほど力があったのか。
(2) 倭国王は単なる倭国連合の代表者に過ぎない。その代表者が後の天皇のような絶対的な権力を如何にして獲得していったのか。
(3) なぜ、雄略天皇は初代倭王の御霊を伊勢へ遷したのか。
(4) なぜ、天武天皇は初代倭王の御霊に対して天照大神の名を与えたのか。
(5) なぜ、持統天皇は男神天照大神を女神に変えたのか。

 次回からこれらの謎解きのために更に記紀に分け入り、考古学の成果を参照することにする。(続く)

前回の「古代ヤマトの遠景」は、下記からご覧頂けます。
☆ 古代ヤマトの遠景(23)