(1) |
大己貴命が平定したのは出雲だけではなく倭国全体だったと考えられる。それは協力者の少彦名命が紀州の熊野灘付近で亡くなっていることと、大己貴命のこの国平定後の記述が、「遂に出雲国に至りて」と表現されており、全国平定の後に出雲に帰ったと理解したほうが自然だからである。 |
(2) |
少彦名命の死は記紀共に明確に記載されており、書紀では熊野の御崎、一説には淡嶋で亡くなったことが述べられている。これだけ詳細な記述があると言うことは、全くの絵空事ではなく、何かの史実が反映されている可能性がある。 |
(3) |
大己貴命が自分一人しかいないといって嘆息すると「わしが付いておる」と言って、三輪山の神が登場する。これは、倭国の歴史が大和で始まる以前から「三輪山の神」がこの地方の守護神であったことを示している。 |
(4) |
三輪山の神のことを大己貴命の幸魂奇魂なりと説明しているが、要するに、 三輪山の神 = 大己貴命 であることを主張していることになる。ところが(3)の結論は、三輪山の神が極めて古い神であることを示しており、この神と出雲の大己貴命と同一であるとするのは矛盾である。このことは大己貴命の処遇に困った記紀編纂者が、このような詭弁を弄する神話を創作したものと考えられる。
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