NO.208
発行年月日:2009/01/15

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トピックス
◇地球と私のためのエコスタイルフェア
 「エコプロダクツ2008(第10回)」出展

随想
古代ヤマトの遠景(32)—【伊勢国制圧】—
信越化学工業(株) 木下清隆

お知らせ
【NEW】環境を考えた北海道の住宅づくり In函館 のご案内

編集後記

トピックス
◇地球と私のためのエコスタイルフェア
 「エコプロダクツ2008(第10回)」出展


 メールマガジン11月27日付け、No.203でご紹介しましたように、去る12月11日(木)〜13日(土)の三日間に亘り10周年を迎える「エコプロダクツ2008」が東京ビッグサイトの東展示場1〜6ホールで開催されました。
http://eco-pro.com/
https://www.vec.gr.jp/mag/203/index.html

VECブース
ステージでのコント
塩ビ製品にと表示された
塩ビミニハウス内部
塩ビリサイクル製品・パネル展示
  出展者数は750社・団体、主催者発表で昨年より9千人多い17万4千人の入場者が押し掛けました(昨年比約5%増)。この展示会の特徴として、ビジネス関係者だけでなく、環境学習の一環としての小中学生の団体の来場が極めて多く、またファミリー層も含めて大いに賑わいました。

  当ブース出展の目的は、ファミリー層(小学生〜高校生、主婦)、ビジネス層に「地球環境に優しいプラスチックは塩ビ」であることを理解頂こうというもので、“塩ビでエコライフ!−身近な環境素材、塩ビを学ぼう!”をコンセプトにしました。昨年も小さなブースでありながら、多くの方々に来場いただきましたが、今年は、昨年を7割ほど上回る方々が来てくださいました。多くの方々に、塩ビの優れた環境性能をご理解いただけたことは誠に喜ばしいことでした。

 塩ビの良さを分かりやすくお伝えする試みとして、若手芸人2組にお願いして、コントによる紹介をしていただき、その後に、ブースの真ん中に設置した塩ビ建材でできた「ミニハウス」と様々な塩ビ製品を見ていただきました。実際に、塩ビが如何に身近で使用されているかを実感して頂いたと思っています。それ以外にもグリーン購入特定調達物品、エコマーク製品、リサイクル品をはじめとする展示品やパネルにより多くの方々に塩ビは省資源、CO2排出削減、省エネ、リサイクル、長寿命などで地球環境に優しいプラスチックだとの認識を持って頂いたと思います。

 来場された方々には、塩ビに偏見がない方が多かった一方で、未だ塩ビに対してダークなイメージを持ちダイオキシン問題を尋ねられる方もおられましたが、科学的なデータに基づいて説明をさせていただいたところ、ご納得いただけたと感じました。リサイクルに関するお尋ねも多くいただきましたが、塩ビが様々な形でリサイクルされている実態をご存じない方が少なくありませんでした。塩ビのリサイクル状況に感心されるとともに、塩ビがリサイクルできることをアピールできるなら、塩ビの使用を再検討したいという声をいくつも聞くことができました。一般の方々へのアピールだけでなく、企業の方々ともこのような双方向のコミュニケーションができたのも、我々の今後の活動に参考になる大きな成果だったと思います。

 会場の他ブースでも、直接的に塩ビを使っていないことを環境への配慮としてアピールしている所は見当たらず、塩ビ再評価の動きが表れていました。
 今後とも、塩ビの優れた環境性能をあらゆる機会を活用して広報していきたいと思います。(了)

随想
古代ヤマトの遠景(32)—【伊勢国制圧】—
信越化学工業(株) 木下清隆

 前回までに述べてきたように、「神武東征譚」の主人公を初代倭王に置きかえると、日前・国懸神宮、熊野速玉大社、熊野本宮大社の由来と祭神を無理なく説明できる。このことから、この東征譚は、神武天皇が創作されたときに、本来存在していた初代倭王を主人公とする「大和入り物語」が、剽窃されて出来上がったものと想定されることになる。このように考えると、先に説明した大和に色濃く残る出雲の足跡、山城・伊勢に残る出雲の記録等とこの剽窃「神武東征譚」とは、きれいに符合することになる。
 このような史実を踏まえ、7世紀に作成された「古事記原典」の中では、初代倭王は、崇神天皇として登場するが、出雲との関係はあくまでも断ち切られている。しかし、これまでの検討結果から“初代天皇の出自は出雲である”と結論付けられることになる。

 このようにして出雲の王が、倭国のリーダーとして大和の地に登場する。しかし、彼は、単なる倭国連合の表看板に推されただけであって、いきなり倭国の大王として登場したわけではない。現代流に云えば国連の事務総長に就任したようなもので、諸事の調整、会議の開催と合意事項の執行等を任されたものと考えられる。この中にあって彼の最大の任務は、戦いの合意がされたとき、彼が自ら先頭に立って戦うことだったと考えられる。先に、卑弥呼が狗奴国と戦い続け、戦い半ばにして倒れたこと、その後の混乱が台与(とよ)の登場で収ったこと、更に男王が台与の後に立ったところまでを紹介した。この男王について古代学は未だ特定の人物を比定していないが、この男王こそ初代倭王であるとするのが、ここでの考え方である。

 なぜ、倭国連合は狗奴国即ち、東国と戦いを続けたのか、その理由は類推するしかないが、恐らく、東国に巨大勢力が存在する、彼等を倒さなければ自分達がやられるとの恐怖感が、その主な理由だったと考えられる。西国においては、倭国連合は誕生したが西国全体を統一するほどの大国は出現しなかった。その大国が諸国を従えて狗奴国と戦うといった構図が描ければ話は分かりやすいが、現実はそうはならなかった。その最大の理由は、倭国には未だ騎馬が登場していなかったからだと考えられる。紀元前数世紀頃、既に中国或いは西アジア諸国においては騎馬が縦横無尽に活躍していた。マケドニアのアレキサンダー大王が長駆、インド北部にまで遠征出来たのは偏に騎馬の存在のお陰だったといえよう。ところが、倭国に騎馬が入ってくるのは4世紀末から5世紀にかけてである。一般化するのは5世紀後半とされている。このような事情から、3世紀の卑弥呼の時代においては、騎馬は存在せず、従って、機動力に著しく欠ける兵力では、西国全体の統一など思いの外だったと云うことである。こうして結果的に西国諸国による「倭国連合」が誕生した。

 この連合体のリーダーは、諸国の思惑から男王を立てることが出来なかった。“あいつを倭王にしたら、俺の国が危なくなる”といった思惑が働いたはずである。結局、卑弥呼で手を打った。卑弥呼は50年ほどもその地位に留まったが、その死後の後継者選びでも諸国は男王の擁立を拒否した。しかし、後継の台与の時代、東国の巨大王国である狗奴国との緊張関係は更に高まったのでは無かろうか。遂に彼等は男王を立てることを決意する。13才で女王となった台与ではどうにも成らなかったからである。白羽の矢を立てられたのが、ここでの主人公である初代倭王である。理由は大国出雲の王であったこと、人格が高潔であったこと等であろう。しかし、当初から彼は、連合軍の先頭に立って狗奴国と戦うことを義務づけられていた。この点が、卑弥呼、台与とは全く異なった役割であった。

木津川の風景(笠置より上流を見る)
  卑弥呼時代に狗奴国との戦いに手こずっていた最大の理由は、伊勢国が戦略上きわめて重要な地位を占めていたことが挙げられよう。大和から狗奴国、即ち現在の濃尾平野へ出るルートは、木津川を遡上して伊賀・加太峠・亀山・鈴鹿・四日市を抜けて行く道しかない。後世になると湖北から関ヶ原を通るルートが開かれ「不破の関」が設けられたりするが、卑弥呼の時代においては、未だこのルートは開拓されていなかったようである。従って、卑弥呼の軍は、常に伊勢経由で狗奴国へ入るしかなかった。この時代、伊勢国は東国諸国の一つであり、西国の倭国連合には加盟していない。当然、卑弥呼軍は最初に伊勢軍と何処かの地点で衝突することになる。戦い半ばで形勢不利と見た伊勢軍が南方の津方面へ引いたらどうなるかである。卑弥呼軍はとても彼等を放置して北進など出来たものではない。何時何処で、北の狗奴国軍と南の伊勢軍に挟撃されるか判らないからである。二四七年に卑弥呼が狗奴国との苦戦を伝えると、魏帝はわざわざ使者を倭国に遣わしたりしているが、要するに卑弥呼軍は伊勢軍と狗奴国軍の変幻自在な戦いに打ち勝つことが出来なかったのである。

 初代倭王は卑弥呼軍の轍を踏まぬように、アッと驚くような戦略を立てる。それは伊賀ルートの北軍で伊勢軍を引きつけておいて、榛原・名張経由の南軍で挟み撃ちにしたのである。ここに伊勢軍は大敗し、倭国連合軍ののど元に突き刺さっていた強固なトゲは抜き去られた。降伏した伊勢国にたいし、倭王は自分の血縁の者、或いは信頼する側近の者を統治者として派遣したものと考えられる。その一族が後に伊勢氏と名乗り、伊勢国を治める国造として、その勢力を拡大して行く。(続く)

前回の「古代ヤマトの遠景」は、下記からご覧頂けます。
古代ヤマトの遠景(31)・・・【熊野本宮大社・熊野速玉大社】

上記以前の「古代ヤマトの遠景」のバックナンバーは、以下のアドレスからご覧頂けます。
https://www.vec.gr.jp/mag/index.html

お知らせ
【NEW】環境を考えた北海道の住宅づくり In函館 のご案内

 樹脂サイディング普及促進委員会が、下記のセミナーに参加し講演を行います。

・日 時 2009年2月5日(木)
13:30〜17:30 (受付 13:00)
・場 所 サン・リフレ函館 大会議室
・主 催 (株)日建新聞社
・参加費 無料(定員:先着100名)
・お問い合わせ (株)日建新聞社・編集部
電話 : 011(726)3138

編集後記
  早いもので1月も半ばになりますが、今年は年初から厳しい世相を反映したニュースを目の当たりにする日が続いております。そうした中、仕事始めの5日から、例年通り各業界団体の賀詞交歓会が開かれました。仕事柄、多くの会に参加して主催者側の年頭挨拶や来賓の祝辞を聞く機会に恵まれましたが、ほとんどが「米国に端を発した・・・」から始まり、今年の経済情勢が予断を許さない状況にあること訴えるものでした。もちろん、それに続く内容は各業界の置かれた状況により区々ですが、全体として、「新技術による国際競争力の確保や新製品による需要喚起」、そして「こういう時だからこそ力を合せてこの難局を乗り切ろう」という基調のものでした。
 こうした中、塩ビ樹脂製品に関わる団体の賀詞交歓会で、あるベテラン経営者から「塩ビは50年にわたる歴史の中で、今回の経済危機など比べものにならないほどもっと苦しい局面を何度となく乗り越えてきた。むしろビジネスチャンスと捉えるべきではないか」との力強い祝辞を伺うことが出来ました。正に「打たれ強い塩ビ」の真骨頂が染みわたる思いでした。(樹)

VEC関連URL
●家族で学べるページ https://www.vec.gr.jp/kids_new/index.html
●塩化ビニル環境対策協議会 http://www.pvc.or.jp/
●樹脂サイディング普及促進委員会 http://www.psiding.jp/
●樹脂サッシ普及促進委員会 http://www.jmado.jp/
●メールマガジンバックナンバー https://www.vec.gr.jp/mag/index.html

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