ナミビア旅行記(6)−国を追われた人々− |
(社)日本化学工業協会 若林康夫
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ナミビア(ナミビア共和国)と隣接国であるボツワナはアフリカで一番治安がいい国だとされています。田舎では、日本と同様、犯罪はほとんどなく、鍵をかけ忘れて外出をしても盗難などの被害にあうことはほとんどないようです。一部の街では地元の人には問題はありませんが、外国人旅行者を対象としたスリや置き引き、強盗などの報告はあります。幸い、命に関わる被害はいまのところ出ていないとのことです。
ナミビアの人のイメージでは東京の方がもっと怖い。特に新宿は暗黒街で、間違っても立ち入ってはいけない地域だと思われています。新宿と同様、横浜の中華街(China Town)も日本の警察の力が及ばない、一種の治外法権的な場所だと思われているようです。かなりの数のナミビアの人から、日本の警察や軍隊はなぜ新宿や横浜に突入して奪還しないのかと聞かれました。
ナミビアで、アフリカ大陸の東海岸側にあるモザンビークから数年前、命がけで脱出してきた人の話を聞くことができました。現在ではナミビアで手広く塗装会社をやっている方でした。モザンビークはいまでこそ国連の介入によりそれなりの治安が保たれていますが、数年前までは部族間の権力闘争が元となった内戦が長い間続いていました。
内戦中は夜中、敵対する部族の一団が村を包囲し、村の周りに満遍なくガソリンや灯油をまき、火を付け、火に気がついて逃げ出そうとする村民は容赦なく射殺。一つの村を人も含め丸焼きにする。やられた部族は別の日に、同じ方法で仕返しをする。女性や子供、民間人か軍人かなど全く関係なく、敵対する部族を一掃するという、ただそれだけの目的で争っていたそうです。
敵対する部族の人達が集まる結婚式もいい襲撃目標。参列者全員が結婚式の会場に集まったのを見届け、その会場を急襲して全員を殺害する事件が繰り返されたため、モザンビークでは数年間、結婚式が1件も行われないという異常な事態にもなったそうで、当然ですが、その時期のみ出生率が異常に下がっているそうです。
話の最後に、安定しつつあるモザンビークに戻るつもりはあるのかと尋ねたら、あまりにも悲惨な経験が多かったため、2度と戻りたくはないと話していました。
現在、難民ということでは、ナミビアは隣国ジンバブエから脱出してくる人が大きな問題となっています。幸い、ナミビアはそれほど広い地域でジンバブエと接しているわけではありませんが、隣接地域が広いボツワナは政府がジンバブエからの難民受け入れはこれ以上できないと正式にステートメントを発表しているほどです。
以前のジンバブエはアフリカの穀倉地帯、アフリカでもっとも成功した農業国、アフリカの食糧庫と呼ばれ、非常に豊かな国でした。この押し売り旅行記でも10年以上前、豊かであった頃のジンバブエについてお届けしたことがあります。ところが、内戦が始まったというようなわけでもないのに、現在では国民の半数近くが他の国に流出する事態となっています。なぜこのようなことが起こったのかといえば“経済崩壊”が原因です。この経済崩壊の元になったのは「大統領の人気獲得政策の失敗」。
もともとジンバブエはイギリスの植民地。独立後も多くのイギリス人、あるいはその子孫が農場主や企業経営者、商店主などとしてジンバブエに残り、農業技術や設備の維持、企業経営を行ってきました。ところが現政権のムガベ大統領(軍人出身)は、人気獲得のため白人(2世、3世のジンバブエ国籍の人を含む。見た目が白人のように見える人は白人扱い)から全ての財産を没収し、国民(黒人)に分け与えることにしました。
その結果、多くのイギリス人だけでなく、その子孫、混血の人など多くの人が財産を失くしただけでなく、ジンバブエ国籍でありながら無一文の状態でジンバブエから追放されることになりました。ほとんどの白人のように見えるジンバブエ人はイギリスを中心にヨーロッパに移住、若しくは生活の基盤を移しました。
ちなみに、日本政府は生活ができるか否かは別として、ジンバブエという国が正式に存在し、政府間の国交もあるため、難民としては一切受け入れはしないと発表しています。
さて、このようにして国民に分配された農場や企業、当然、うまく機能するはずがありません。ジンバブエでは小規模な農業ではなく、農業機器などを駆使した大規模農場が農業を支えていました。それを細かく分けて分配したため、それぞれの農民の経済力ではそれまで使っていたような農業機器を購入、維持をすることはできません。
それ以前の問題として、農場主などの指示に従って作業をしていただけなので、農業に対するノウハウもなく、これまで利用していた水源も個人所有となったため農業用水の奪い合いなど、様々な問題が続出。当然、農産物の生産高は急降下。それまで、アフリカだけではなく、ヨーロッパや日本にも輸出されていた農産物が採れなくなり、自給自足すらできなくなってしまいました。
その結果として発生したのが大インフレーション。6月のジンバブエ政府の発表ではインフレ率2,200,000%。1年前には100円で買えたパンが今年は2,200,100円になったということです。もちろん給料はそんなに上がるわけはなく、出勤時と帰宅時ではバス代が値上がりしており、バスに乗って帰ることができないということも起こっています。8月にはインフレ率12,800,000%という数字が一時的に発表されましたが、現在ではその数字は発表していないことになっているようです。その代りと言っては変ですが、8月1日からジンバブエ・ドルの単位を10,000,000,000分の1に切り下げるデノミネーションが行われ、それまでの10億円が1ジンバブエ・ドルになりました。
普通なら暴動でも起きそうなインフレ率ですが、争いを好まないジンバブエ人はじっと耐え、その代りに続々と国外脱出を行っています。
ちなみに、今年の春、ジンバブエでは大統領に対する国民総選挙が行われましたが、国連の非難決議が行われたにもかかわらずその結果はいまだに正式に発表されていません。現政権は、投票数を慎重に数えているため時間がかかっていると言い訳をしていますが、どんな数え方をしているのでしょう。
さて、ジンバブエの説明が長くなりましたが、ボツワナ政府がジンバブエ難民の受け入れができないと発表したため、多くのジンバブエ人が治安のいいナミビアを目指して続々とやってきています。現在のところ、ナミビア政府は国境沿いに難民キャンプを設置し、できるだけ国内流入を防ごうとしていますが、これも時間の問題。ジンバブエ政府が事態の解決を図り、国外へ流出した人達が戻れる状態にならない限り解決はできない問題でしょう。また、一銭も持たずに脱出した人達がブラックマーケットや犯罪に手を染めるのも防ぐのは容易ではありません。
いまはノンビリとしているナミビアですが、このままだと急速に変わっていくかもしれません。(続く)
前回のナミビア旅行記(5)−HIV− は、下記からご覧頂けます。
https://www.vec.gr.jp/mag/217/index.html#zuisou
ナミビア旅行記のバックナンバーは、下記からご覧頂けます。
https://www.vec.gr.jp/mag/index.html |
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